以下の要領で哲学・西洋哲学史の合同研究会をおこないます。
哲学と西洋哲学史の院生・学生はできるかぎり参加してください。
日時: 2015年8月4日(火) 午後2時〜5時
場所: 総合研究2号館第8講義室
- 発表者
三木那由他 語用論と意図基盤意味論
西村 洋平 魂の本質と物体との関係をめぐるプロティノスの思想の独自性
- 発表要旨
三木那由他 語用論と意図基盤意味論
かつてグライスは、話者意味(speaker meaning)という概念を話者の意図という心理的概念によって分析しようと試みた。意図基盤意味論と呼ばれるこの試みは、さまざまな問題を含みつつも、近年でもなお幾人かの論者によって受け継がれている。他方でこの話者意味という概念は、推意(implicature)という現象を理解するための基礎とされていた。現在、グライスによる推意の分析をモデルとした理論的研究は、語用論と呼ばれる分野で中心的な位置を占めている。それ自体が哲学的探求の対象でありながら、さらに語用論の基礎概念でもあるという話者意味の二面性は、あまり強く意識されないままに、漠然と受け入れられてきている。実際、意図基盤意味論者たちは自身の分析が語用論の営みと調和的であることを疑わず、また語用論者たちは話者意味と話者の意図とを言い換え可能なものとして使っているように見える。だが、意図基盤意味論と語用論という営みは本当にそれほど調和的なのだろうか? 本発表では、意図基盤意味論的に理解される話者意味の概念と語用論にとって必要な話者意味の概念とが、実際には一致していないという可能性を、具体例をもとに示し、意図基盤意味論よりも望ましい話者意味の理解の仕方を素描する。
西村洋平 魂の本質と物体との関係をめぐるプロティノスの思想の独自性
古代末期のプロティノスは、他のプラトン主義者と同様、魂が物体ではない(非物体)と考える。このような立場をとる場合、非物体である魂が、身体とどのように関わっているかが問題となる。非物体である魂の本質をどのように捉えたのか、そして身体とどのような関係にあると説明するのか、本発表が扱うのはその2点である。その際、主にストア派とペリパトス派の魂論と比較検討することで、プロティノスの立場を哲学史的に位置づけつつ、その独自性を明らかにしたい。実際、プラトンこそが哲学のヒーローだとするプロティノスは、ヘレニズム期に花開いた思想伝統をしばしば批判して退けるが、それと同時に大きな影響を受けているのである。最後に、彼の「魂」についての考え方の哲学的な意義について考えてみたい。
魂が物体ではないことを示すために、原子論者(エピクロス派)の魂論や物体主義者(ストア派)の魂論を、認識の一性(認識するものの自己同一性)に依拠して退ける。そこで用いられる議論は、プロティノスより前のペリパトス派アレクサンドロスに見出されるものとほぼ同一である。しかし、プロティノスと同様に魂が物体ではないとするアレクサンドロス自身は、この議論を物体主義批判のために用いることがない。認識と一性の概念をどのように考えていたのか明らかにしつつ、魂の本質をめぐるプロティノスの考えを示したい。
つぎに、身体と非物体的な魂の関係について、「〜のうちにある」あり方の様々な意味を区別して分析するアレクサンドロスと、それを批判するプロティノスの議論を検討する。アレクサンドロスはアリストテレスにならい、魂を、器官を持つ身体の形相であり、生命を持つ身体のうちに原理・原因としてあると考える。それに対してプロティノスは、「原因」や「形相」について全く異なる理解を持っており、別の仕方で魂と身体の関係を考える。魂は物体・身体のうちに形相を生み出す原因であり、身体や身体に内在する形相よりもすぐれている。そして、魂が身体のうちにあるのではなく、身体が魂の力に依存している限りで、身体が魂のうちにあるのだと述べる。こうした主張を吟味しつつ、プロティノスが考える魂と身体の間の因果関係の独自性とその問題を論じたい。
テクストとしては、主に第2論考「魂の不死について」(IV, 7)の、魂の本質をめぐる他学派への批判的な議論と、第27論考「魂の諸問題について 第1篇」(IV, 3)の第20章における、魂と身体の関係を論じた箇所を中心に取り上げる。