受験生・学生の方へ


大学受験生の方へ 

わたしたちの専修は、真に自立した哲学的思索者、つまり「哲学者」を一人でも多く育てることを目指しています。とはいえ、哲学者とはどういう人のことを言うのでしょう。また哲学とはどのような学問でしょうか。10人の哲学者に聞いたら10個の違った答えが返ってきそうです。でも、ここでは「エイヤ!」と言い切ってしまいましょう。
 皆さんは、いろんな教科を勉強するなかで、そしてなによりも日々生きていくなかで、大人の人たちが「当たり前」と見なしていること、「それを聞いちゃ、お終いだヨ」と言われそうなことに激しくギモンを感じた事はありませんか。例えば、「まじめに勉強をして、いい大学に行って、将来エリートと言われる職業に就くことにどんな意味があるの?」「なぜ他人が昔に勝手に決めた法律をこの私が守らなければならないの?」「数学や物理学で出てくる「無限大」や「無限小」って一体ナンなの?」などなど。哲学そして哲学者とは、ふつう「これ以上考えたってしょうがない」と思われている事柄について、一歩でも半歩でも考えを進め、できるだけ多くの人に納得してもらえる答えを出そうとする学問であり研究者なのです。
 でもこれは「言うは易し、行なうは難し」です。実際、古今東西の哲学者がさんざん知恵を絞って考えてきた問題に、独りよがりではない、自分独自の答えを出すなんて、そう簡単にはできません。そのためには徹底した基礎訓練、具体的には、日本語・外国語を問わず、様々な分野の膨大な文献を正確にスピーディに読みこなす読解力、自らの議論を綿密かつ大胆に展開できるために必要となる論理的な力などを身に付ける訓練を、場合によっては10年以上も積まなければなりません。
 京大の哲学教室は、西田幾多郎や田邉元を始めとする歴代の教官の下、単に流行の思想を追っかけるのではなく、自ら考え抜く人材の育成を目指し、「京都学派」と呼ばれる数多くの哲学者を生み出してきました。高い志と不屈の忍耐力を持った皆さんが、京都学派の「たいまつ」を受け継ぎ、新しい時代の新しい哲学の担い手となるべく、わたしたちの専修に来られることを、心より期待しています。

 


 

二回生の方へ

哲学専修は、文学部の専修の中でも、研究対象の選択の自由度が最も高い場所の一つである。なんたって、名前が「哲学」。国文学や仏文学にまじって「文学」専修があるようなもの。一段と高いはず分類項目が、より細かい項目の間に紛れている珍現象。これを哲学の業界用語では、カテゴリー・ミステイクと言う。でも、はばかりながら、これはなかなか由緒のあるミステイクなのである。
 本専修は京大文学部創設以来の教室であり、その後、西洋哲学史の各講座を含め哲学系の教室が次々と設立された後でも「哲学・西洋哲学史第一講座(哲学)」にとどまり続けた。そこには言語圏や時代や分野を限定せず、広く過去の思想伝統を吸収し、その上で独自の哲学を生み出す「場」を確保しようとする、京大哲学科の意志を感じ取ることもできる。事実、「純哲」と呼ばれた本教室は、西田幾多郎・田邊元両教授を含む歴代教官・教員の下で、「京都学派」の根拠地となったのである。
 というわけで、この伝統あるカテゴリー・ミステイクの産物たる本専修では、一生に一度くらいは、物事の根本についてじっくり考え抜きたいという学生諸君に大きく門戸を開いている。社会や国家の仕組みについて、科学や宗教の正体について、人生いかに生きるべきかについて。思索が、既存の個別学問の枠をはみ出し、その学問の基礎を問い直す射程と気概を持つとき、それは何であっても「哲学」と呼ばれ、本専修の守備範囲に入ることになるのである。
 ただし、担当教員の語学力の限界というよんどころない事情で、扱えるテキストは日本語・英語・フランス語・ドイツ語など、いくつかの言語に事実上限られることは申し添えておかねばなるまい。悪しからず。
具体的にどのような研究対象が選ばれているかについては、専修のホームページに出ている各種の情報、特に「所属院生」や、哲学専修が関わっている雑誌『哲学論叢』と『Prospectus』のページを見て頂きたい。ちなみに『Prospectus』2005年号の特集は「ポップ・カルチャー」、2006年度のそれは「サイボーグ論」である。
 テキストを正確かつスピーディに読みこなすための語学力、自分で議論を展開するための論理的な力。何を対象に選ぼうとも、これらは哲学の研究にとって必須の基礎体力である。したがって、卒論演習をはじめ、本専修が提供するさまざまな講義・演習は、この基礎体力をつけるトレーニングの場という意味合いを多分に持っている。また大学院生による読書会などの自主的な研究会活動が盛んなことも本専修の特徴である。学部生も、これらに積極的に参加し、「哲学力」を身に付ける一助とされることをお勧めする。 最後に本専修の卒業生の進路について。学部卒業生の約半数が大学院進学、残りが就職・その他、というのがここしばらくの状況である。就職先としては、マスコミ・出版関係、国家・地方公務員、システムエンジニア、司書など、概して文学部の他専修と同様の傾向を示している。また修士課程修了者のこれまた約半数が博士課程に進み、残りが就職している。就職先も、マスコミ・広告・証券・製薬・司法修習生と、学部卒業生のそれと比べて広がりに遜色はない。「文系の修士課程修了者は一般就職に不利」という通念は、もはや完全に過去のものとなったのである。さらに過去15年ほどの博士課程修了者の就職傾向をならして見れば、毎年1名以上がアカデミック・ポストに就職していることになる。高等教育機関における思想系教員数の減少という全国的な傾向を考えれば、ここでも本専修修了者の健闘は光っていると言える。

 


 

大学院受験生の方へ

本専修は京大文学部創設以来の専修であり、西田幾多郎・田邊元を始めとする歴代スタッフの下で「京都学派」と呼ばれる哲学者を輩出してきた。その伝統を踏まえ、高等教育機関における哲学・思想系の教員(いわゆる専門の哲学研究者)を育てることを主眼においた教育がなされている。
 他の多くの職種と同様、哲学の「職業訓練」でも、何よりも重要なのは基礎訓練である。哲学において身につける基礎訓練とは、語学や論理学にじっくり取り組むことで、テキストの読解能力と論理学的な思考能力を身につけることに他ならない。解説書の類ばかりを読んで、いたずらに哲学的物知りになるよりも、自分の語学力・論理力を地道に伸ばす努力を怠らないこと。これが、本専修の大学院への進学を希望する諸君におすすめしたい勉強法である。なお、このような観点から、本専修の大学院生には「論理学」「ギリシア語」「ラテン語」のうちから一つを選んで必修することが課されている(既習者は除く)。
 本専修の大学院には他学部・他大学の出身者も多く、その割合は3分の2近くにのぼっている。その専攻の対象も広く、ロック・ヒューム・カント・フレーゲ・ラッセル・フッサール・ハイデガーといった近現代の古典的な哲学者から、言語哲学、数学・論理学の哲学、心の哲学、生物学の哲学、神経科学の哲学、時間論、統計学の哲学など、現代哲学のさまざまな分野におよんでいる。より具体的にどのような研究対象が選ばれているかについては、専修のホームページ上の各種の情報、特に「所属院生」や、哲学専修が関わっている雑誌である『哲学論叢』と『Prospectus』のページを見て頂きたい。ちなみに近年の『Prospectus』の特集テーマは「ポップ・カルチャー」(2005)、「サイボーグ論」(2006)、「人工生命」(2007)、「ロボット」(2008)である。
 近現代の代表的な思想家の思索のスタイルを批判的に摂取する一方で、数学・論理・科学・文芸・芸術・宗教・政治・社会など、狭義の哲学以外のさまざまな事柄に関しても、他人の受け売りではない自前の知識を組織的に身につけること。また応用哲学的な問題にも積極的に関心を払いつつ、できるだけ早い時期に留学し、海外の第一線の研究状況に直接触れるとともに、実践的な語学力を養うこと。以上が本専修で推奨されている研究スタイルである。端的に言って、本専修では、古典的な問題意識を踏まえ、現代の最前線の哲学的な課題に挑むという姿勢が求められている。「クラシックかつアバンギャルド!」これぞ、本専修のモットーである。

大学院入試について

    • 博士前期課程:年2回(夏・冬)実施。試験内容は英/独/仏/論理学から2つ選択、哲学史についての小問、および論述問題。
    • 博士後期課程:年1回(冬)実施。専門分野に関する知識と能力を問う試験(語学問題を含む)を課す。
    • ※ 文学研究科教務課にて、過去問が閲覧できます。

聴講生/科目等履修生を希望する方へ

文学研究科では、聴講生、科目等履修生を募集しています。本専修での聴講生/科目等履修生を希望する方には、筆記試験を受けていただきます。試験内容は例年、英独仏の哲学に関するテキストのうち2カ国語を選択して翻訳するもので、だいたい大学3回生程度の語学力を想定しています。過去問は、文学部教務課で閲覧可能です。


ELCAS《実践!哲学塾》での質疑応答

高校生向けに開催された、2019年度のELCAS《実践!哲学塾》の受講生のみなさんからいただいた質問に、出口康夫先生と講師陣がお答えしています。以下の記事をご覧ください。